本質で自由に生きる時代へ

前稿・「ふりかえり」の続きを投稿予定でしたが、緊急の変化も起こっているので、こちらも外せないということで、投稿します。

 

コロナウイルスの拡がりによって、日本でも、とりあえず期間限定ですが、学校休校・在宅勤務が奨励されるようになりました。

 

当事者の戸惑いももちろん理解はできるのですが・・・

 ムダなものを見直すという意味では、この機会を有効に使える気はします。

 

そもそも、会社でなくてもできる仕事でも会社に通っていたり、

半ば強制的に、地域のこどもたちが1か所の学校に集められ、同じ内容を学び・競わさせられ画一的な評価の対象とされていたり。

 

そういった不自然な状態から、そろそろ日本人も解放されていってもいいのではないか?と思うのです。

 

人は本来、もっと自由であったはず。

その自由に、戻っていってもいいのでは?

 

このようなことを書くと、きっと反発する人もいるでしょう。

「私は家族のために会社で評価され高給を得るためにこれまでもがんばってきた。その生活の何が悪い。」と。

 

そのお仕事を・その状況を、心から愛せるのなら、それももちろんありでしょう。

 

だけど、そうではないとしたら???

 

そのお仕事は、あなたの本質からはずれていて、あなたの良さを発揮しきれないのでは?

人生の一時期、そういう経験することも悪くはないのですが、それをいつまでもするという選択を、変えてみてもいいのではないでしょうか。

 

隣の人と同じような生活をしていないと、不安でしょうか?

その不安は、どこから来ますか?

解消する方法はないのでしょうか?

 

自分じゃない誰かが決めた「当たり前」とされることを、本当は全然したくないけど、生活していくためだからする。

そういうことを、この機会に見直してもいいのでは?と、思うのです。

 

もちろん、この社会で生きていくために、ある程度のお金は必要です。

今回のような事態で、症状が軽いうち・感染が広がらないうちに安心して仕事をお休みできるためにも、不安定すぎて雇用保険も十分でない制度に成り下がってることを考え合わせても、ベーシックインカムのような制度があってもいいのでは?と思います。

 

「そんなことをしたら、人は働かなくなる」という人もたまに見かけますが、

働かなくても収入があったら、本当に人は誰も働かなくなるのでしょうか?

 

逆に、生きていくために労働とは関係なく最低限の収入があれば、その安心感から善意の奉仕や労働をしたくなったりとか、ならないものでしょうか?

 

日本は本来、世界でもたぐいまれな精神性を持っているともいわれています。

その部分を、信じてみてもいいのではないかと思うのです。


Follow me!