恋愛体質?恋愛依存?(ふりかえり・2)

(ふりかえりhttps://healing-halfmoon.com/blog/418/のつづきです。)

得られないものは望まないことに決めたので、もちろん、その後も親に愛されたいとか大切にされたいとかも、極力思わないようにしました。

そのままただの心の傷あとで済めば話は複雑にならずに済んでよかったのかもしれないのですが、時期が悪すぎたのか思春期に突入。

世間から・クラスメートから、素敵な人との恋愛で幸せになれるみたいな「恋愛神話」を、これまた無意識に刷り込まれる羽目に。

彼氏のいる人はいけてる。(←今の言葉でいうと。当時はいけてるという言葉すらなかった。)みたいな価値観に染まっていったのです。

親に大切にしてもらえなくっても全然平気。どうせ親とかそのうち私より先に死んでいなくなるし。親じゃなくても誰か別の人が大切にしてくれたらいい。そっちのほうが断然幸せ。

赤の他人に大切にされるという、ある意味親に愛されることより難しいことを望むようになってしまったのです。

だけど、流行の顔でもなかったし、話術があったわけでもなかったので、望んだだけで彼氏ができるなどということはあり得ませんでした。

「やっぱり、私が愛されるわけがない。」

親に愛されなかった心の傷・いじめで負った心の傷へ、不適切な処理をしてしまったために、「頑固に残り続ける心の傷」へと変えてしまったのでした。

 

そんな私に、たまたま、流行の顔と自分の顔が近づいたせいなのか、いわゆるモテ期みたいな時期が一時的ではあったけど突然訪れたことがありました。

 

素直に喜んでいられたらそのまま幸せの道に進路変更できたのかもしれなかったけど、あまりにもそれまでと違いすぎて、「流行ひとつでこれほどまでに人の態度は変わるのか」と、逆に人間というものが信じられなくなりました。

 

でもせっかく訪れたチャンスではあったので、「今でしょ」とばかりに活用させていただいたけど、やはり長続きしませんでした。

 

その理由は、スピリチュアルや心理学や成功法則などを学んできた今となっては自己肯定感のなさだと自覚できるのですが、当時はそれが理由だったとは微塵にも思っていませんでした。

 

「私がもっと積極的になっても良かったのかな?」

「もっと、献身的にならないといけなかった?」 

「それとも、相手の趣味以上の存在になれないって、私はやっぱりその程度の価値しかないのか」

「もしかして、他に好きな人がいたのかな?」

 

いろいろと可能性を考えて、その後の恋愛でも試行錯誤しましたが、根本の原因に行きついてないので、たいした進歩はありませんでした。

ただ、そのころには、他人から他人からの評価とは関係なく、人生に必要なものとして恋愛をとらえていましたし、自分が恋愛から程遠い存在とまではあまり思わなくなっていました。

それでも、というか、それだけに、ひとりになってしまったときは、異様に寂しかった覚えがあります。今から思うと、恋愛依存だったのでしょうか。

 

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