多様性

 

大津に引っ越してきて、ようやく派遣のお仕事が決まり、先月研修を受けて今月から出勤しています。

 

派遣先では原料が同じで分子量が数100から数十万までの高分子の標準物質を扱う機会があるのですが、

原料が同じでも性質はいろいろ。

そんなものを見比べると、おもしろいものですね。

 

パウダー状のもの・フレーク状のもの・油状の液体のもの・ねちょっとした液体・液体がコチコチに固まって引っ掻き出さないと取り出せないもの・見た目より重さのあるもの・ふわふわ軽くてバルキーなの・・・

いろんな材料の性質によって、身の周りにはそれが一番都合よく使えるところに使われてるんだよなぁ。とか、あらためて思ったりして。

当たり前の話なんですが、適材適所。

「この世界はうまくできてます。」

・・・と言いたいところなのですが・・・

 

人間はどうなんだか。

 

すごく頭の切れる人・抜けてるとこあっても愛想のいい人・よくしゃべる人・本人あんまり喋らないけど相手の話をよく傾聴できる人・スポーツが得意で素早く動ける人・ゆっくりで上品な人・・・

 どんな人も、この社会の中のどこかに、活躍できる場所がある・・・はず。

 

私自身も、ここ何年か、いろんな仕事をやってみて、合うものもあれば全然無理なのもあったことを実際に体験していました。

 

 一方、日本の学校教育ではほとんど教科の出来か、他にあったとしてもせいぜいクラブ活動とで評価がされてしまうし、その評価が高くあるべきだという価値観をもとに、大概の親にそれに合うように育てられる。

 

だから、みんな同じようにクラブに入って教科の成績を良くすることにとらわれて、その中で切磋琢磨しながら同じような人材が大量生産されていく。。。

 

その中でどうしても他と違ったら浮いてしまって居づらくなったり、運が悪いといじめの対象になったりして、自己肯定感が蝕まれていく。

 

どうにかそれを避けられた人も問題なく幸せにやっていけるのかといえばそうでもなくて、結局実際の社会の中での仕事は様々なので、大量生産された優秀な人材たちのうち、本当にその人に合った仕事に就けるのはごく限られた人だけ。

 

合わない職場に入った人はやめて自分探しをしながら見つかるまで職探しを続けるか、そうでなければ、それしかないと思い込まされて自分の才能も可能性もやりたいことも何もなかったことにしてそのまま続けるか。

 

・・・なんか効率悪くないか?と思うのです。

  

『ありのままでいれば社会に出たときどこかにぴったりな場所が見つかったかもしれないのに。』と。

 

思えば、私たちが物質世界を体験しに地球に来ているのだって、多様性を学びに来てたんですよね。

 

多様性を学びに生まれてきてるのに、多様性を半分否定されながら生きる・・・なんか、もったいないなぁ・・・

 

だけど、実はそんな多様性を否定する人たちに媚びて生きる必要もないし、これからはそこに気づいた人から合ってるところ・居心地のいいところを見つけて移っていくことに。

教育も、それに合わせるように変わっていくのかもしれないとも思う。

やっぱり今が転換点なんだなぁ。

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