恥の意識を塗り替える

 

久しぶりの更新になりました。

無事、引っ越しが完了しました。あとは、住所変更手続きが残っていますが(^^ゞ

 

これまで何度かブログで自己肯定感の大切さを書いてきたことがあったように思いますが、実のところは、そういう自分も他人の言動に左右されない程度に自己肯定感を持つようになったのは最近のことなのです。

 

20代半ばに「自分のことが好きになれたら、何が起こっても強く生きていけるんだろうな」と気づいてから、人生の半分近くをかけて自信を取り戻した計算になります。

 

こんなに時間がかかったのは、それだけ影響が大きかったからなのですが、その大きな影響も、自分の認識できていない原因によるものだっただけに対処が難しかったのでしょう。

 

ただ、その認識できていなかった原因が認識できるようになったことで、スルスルと問題が解決していくのが、おもしろいほど手に取るようにわかったのです。

 

他の多くの方の場合と同様に、私の場合も結局親から言われていたことが自信の持てない原因になっていました。

両親ともに、とにかく他人にどう思われるかを非常に気にして、いかに他人から良く思われようという観点で生きている人だったので、「恥」という概念を刷り込まれ、「それがあなたのためでもあるから(*)」という理由とともに、行動も制限されていました。

(*)「あなたのために言ってる」という人に限って、実は自分のためであったりする。

 

そして、本人たちの許せる範囲内に入るよう、それとわからないよう巧妙にコントロールされながら、ある種の洗脳をされたように育てられていました。

 

とくに虐待を受けたわけでもなかったし、親に対しては感謝するべき存在という前提で生きてきていたので、当初、自分を好きになれない・自信が持てない原因が親の影響ではないかと疑われたときは、「いや、そんなはずはない。親はがんばって自分を育ててくれた。」と、逆に「人からどう思われるか、気にしない人などいないだろう」と、自らその可能性を否定していました。

 

その後両親から精神的にも物理的にも離れ、スピリチュアルの学びを深めていったことで、それが自信の持てない原因になるだけにとどまらず、いかに自分軸で生きていなくて本来の使命からも遠ざかっていたのかということに気づきました。

おそらくこのスピリチュアルの学びがなければ、今でもそこに気づかずに、自信の持てない人生を送り続けていたのだと思います。そして、自信がないだけでなく、自分の子どもにまで恥の意識を植え付けてしまいかねませんでした。

 

今回母の提案で実家の近くに転居してみましたが、相変わらず、両親の「恥の意識」は変わっていませんでした。

私が指摘してみたところでその状況も変わらず、相変わらず恥の意識を好んで(?)選択しつづけています。


ただ、このこととガチで向き合う必要があったために今回の転居があったのだとは感じています。

すべてが、ベストなタイミングで起こっているようです。

 

結婚で失敗した私のことも、両親は恥だと感じているようです。

今の私のスペック(?)も、両親は恥だと感じているようです。

でも、私は気になりません。

気にならなくなりました。

気にならなくなれました。

そして、自分をとりつくろってまで親に誇りに思われるような人を演じたくもありません。

そんな自分のことをちょっと好きにもなりました。

 

今そんな自分にできることとしては、

以後、両親が押し付けようとしている恥の意識を受け取らないこと・

このマイナスの連鎖を自分の代で断ち切って、子どもたちには可能な限りの自己肯定感を持てるよう育てること・

そして、自分のように恥の意識を植え付けられた人が自らその意識を塗り替え他人の目を基準にせず本来の自分として生きれるようになるためのお手伝いをしていくこと。

なんだと思っています。

 

それらを効率よく達成するために、これからもさらなる学びをつづけていけたら。と思っています。 

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